2013年9月28日土曜日

将来について色々と

某コンサルティング会社の説明会に行ってきました(^o^)プレゼンが非常にうまくて、プレゼンについて色々とあんなかっこいい人になりたいと思いました。海外でも仕事が出来るというのは魅力を感じました。

何をしたいかが漸くつかめてきた気がします。教師は勿論成長する教師ってよく言うけど、現実どうよって突っ込みたい。今はバイトでの経験もあり、もう少し成長したいということで20代はビジネスに関しての自主トレです。

目標:
・出来ないという子を優秀な人材へする手助け(要は方法論)
・教育と社会のリンク
・初めから可能性を否定すること自体がまちがいであることを証明する
・一見可能と思われないことを複数のモノを組み合わせて解決する
・想像力を!(思いやりみたいな)なぜなら、民主党の鳩山さんやみのもんたさんのページ見たらわかるように、コメント欄にひどい言葉ばかり書かれている。しかし、そんな風に書くのは、虐めともいえるし、レベルが子供のあかし。

最近考えていることですが、
20代⇒数年就職・MBA
   紆余曲折を経て、まずは大きく幅広く世界知ろう!
   ビジネスのノウハウを知る期間
   信頼できる二人作る※信頼できる親友と呼べるような人は未だ一人   しかいない。
   
30代⇒起業
    教育事業+α何か儲かりそうなものでビジネスする 
    経営での困難⇒何らかの方法で克服
    金儲け(お金がないと何も変わらない)    
40代⇒施設作り・子供と関わる・ボランティア
   【行いたいこと】
   ①雇用の創出
     雇用がなければ家計が苦しい人は
     子供に十分な教育を与えられない。
     雇用が増えれば、子供に適切と言えるかわからないが、
     少なくとも虐待は減る。十分な教育保障に一部つながる
   ②社会と教育のリンク
     今の教育は5教科に特化して詰め込み。しかし、現実必要にな     るのはコミュニケーション能力やプレゼンスキル、議論をする     力だったりと、大きな乖離がある。だから、教育においてビジ     ネスを学ぶ機会を創出したい。具体的ケースを議論したり、お     金について、学べる機会を。
   ③どんな人にも可能性があるってことを示せたらな~(野望)
     水谷修さんのようになりたい。

50代⇒事業拡大・ボランティア
    学校サポート体制
    施設の増加・雇用創出
  
60代⇒海外進出・ボランティア
    カンボジアなど、教育が十分に整備されていないところへ
    島田紳介みたいに学校立てる(野望)
    ※2050年代の話なのでパラダイムが大きく変わっているかも

70代⇒ボランティア・趣味の油絵・デッサンで個展を開く
  老害にすぎないから、代表取締役的なポジションは降りる
  ひたすらマザーテレサになる

80代
動けば⇒70台に同じ
体が動かないとき⇒多分宇宙に行けるようになっているはずだから、宇宙へ旅立つ⇒無重力状態のせいで骨粗鬆症になり、体中ポキポキ→病院行き→人の迷惑になりたくないから、自分からお墓へさようなら    

このキャリアを実現するうえで、結婚はないかなぁ。いい人がいれば別ですが、こちらから求めることはないと思う。結婚相手に求める条件は冒険好きな人かなぁ。事業が失敗したら一緒に借金背負う覚悟がある人がいいです。はい、そんな借金背負う覚悟がある女性なんていないですよね(笑)

ビジネスって、本当に冒険ですね。ということを最近すごく感じています。要は正しいことって存在しない。一見すると間違って見えることも、意外と成功したり、成功しないときもある。個人的には常にエンジョイアブルしたい。小学校の3年時にヘロヘロ君という劇をしましたが、お客さんが喜ぶ姿が本当に忘れられない。あんなふうにenjoyableにしたいわけです。昨年はスクエアダンスとラウンドダンスで主に1回生あてに色々と暴れたわけですが、結局は自分がenjoyableしたかった。だから、クイズを取り入れたり、シンギングをしたりと好き放題しました。

要は個人的にわくわくしたい。でも、これは要はお前子供ジャンってなりかねない。幼稚は格好悪い。でも、まじめすぎるのも面白くない。上に書いたことっていうのは、かなり真面目。やりたいことというのも、まぁ、悪いことを考えていないだけいいけど、面白みがない。だから、僕はお笑いの要素を足していきたいわけです。笑いにより人は元気になる。でも、笑いを取るって案外難しくて。バイトで講師として前でpptを使って授業している時も、受けるときと受けないときの差があり、それは何に起因するのだろうと考えたこともあったが、良くわからない。聞き手とプレゼンテーターの心のつながりというか、阿吽の呼吸というか。

人生でわくわくをする瞬間ってあるわけです。でも、なかなか限られる。
しかし、人はどこかでそのわくわくを求めている。

2013年9月27日金曜日

人の批評ほどうざいものはない

ある方のブログを読んでFacebookにての投稿を辞めてしまいました。
最近就活にて、かなりのビジネス(主にコンサル関係の本)に関する本を読んでいるのですが、結局、経営において大切なことって人によって全然違うわけで、いくら何かの行動の為に分析を行ったところで、何かを始めるときは、その通りに進むことなんてありえない。ある程度の分析から、その範囲内に落ち着くことはあっても現実何が起きるかわからない。最近売れている不格好経営という本にて、コンサルって実際にビジネスするうえであくまでアドバイス、実際に何かをやるとなると別ってことを知りました。ということは、人からアドバイスをもらうというのももちろん大切ですが、結局は自分。このことは今までの自分を振り返ってみてもそうだった気がする。実際、人に頼っている時に成功したことというのはなかった気がする。自分が選んだ道でこれでいけばなんとかなるみたいな、そんな自分の中の漠然とした直観に頼ってひたすらやった時に成功する気がする。要は人に頼っているようじゃまだまだで、人の成功例のアドバイスをそのまま鵜呑みにしてはいけない。

とまぁ、こういうことを色々と勉強していると、いかに人を語る人間というのが見苦しいかということがしみじみと感じられるわけです。評論するのは簡単です。でも、それが、まるで後付というか、結果が起きた後に、「あいつはこうだったからこうなったのだ」とか「あそこがいけなかったのですよね」とか。自分がその立場にいたら本当に問題は起きなかったのか?と考えてほしかったり。自分も時に人について語ることがあるわけですが、どこかで、自分に対してイライラするわけです。僕の場合は、うちのような大学に入ったことに対して、高校の時の学校の先生が語っているそうです。「こいつはなぁ、こんなに一生懸命やったんや。やから受かったんやで。努力したらきっと報われる」みたいな。でも、僕としてはすごく腹が立つわけです。努力しても必ずしも成功するとは限らない。勿論、その成功をどのように定義するかはおいておき、果たして社会に出て、いくら必死で残業をしているからと言って、必ずしも、昇給できるとも限らないし。どこかで、冷めているのかもしれないですが。しかし、そんなこと言うなら、自分でやってみろよって思うわけです。

なんやかんや今までを振り返ると本当に失敗が多い。必死でやれば、勿論周囲の人は納得してくれる。しかし、結果を出せなければ意味がなく、出せないなら、いくら主体的に出たところでアウトです。今までの2年半くらいを振り返ってみると、色んな意味で失敗が多かった。勿論、成功して人から良かったねと評価されることはあったが、どちらかといえば、失敗だらけだ。アルバイト先でのチームリーダーとしての会議の運営やリーダーシップ、マネジメント、、、あげれば切がない。その失敗が起きないためにどうしたらいいかということも徹底的に本を読み実践できるところは直してきたが、勿論まだまだ不十分なのは自覚している。

勿論、失敗は成功の元とかいうが、でも、失敗は失敗。負けは負け。亡くなった祖父から「勝つんや」って言われたことだけは今も鮮明に覚えている。でも、確かに仰せのとおり。結局結果を出さなければ意味がない。失敗を美化して後から、あの失敗があるから今のキミがいるんだって結局は結果論。綺麗事にすぎない。自分で実現したい夢や想いを語るのは、僕は良いと思う。なぜなら、そのことによって、思いを共有できるわけで、少しでも賛成してくれる人が出れば何かを生む。一つの結果を生む。しかし、何もそれに携わらない人がいうのは違う。横から、「お前のしていることは何々に過ぎない」って、批評するのはいかがなものかと思う。

後、先入観を持たないこと。人間先入観を持って人を見る。「お前にはこれは出来ない」とか「見た目からして、お前にこの仕事は出来ん」とかいうような人間。ほとんどの人間はこの先入観にとらわれすぎていると思う。しかし、実際どうなのか。僕の場合は愚かさの骨頂であると考える。なぜなら、その人間の通ってきたことを何一つ考えない、想像力の欠けた行為であると考えるからだ。高々、人間のできることなど限られている。例えば、就活において、ある人事の方が、所詮大学生のしてきたことなど、似通っているし、大した違いはないという。事実そうだろう。考えるプロセスなどは多少は異なるにせよ、発想や考え方それ自体に大きな考えが出せるかというとはなはだ疑問である。

要は、先入観を持つな。批評家になるな。自分の直観を信じよ。失敗は失敗。成功は成功。

核となるメッセージがすごく漠然としていますが、心のそこで感じている思いをそのまま綴ってみました。

2013年9月25日水曜日

These days I often go to business seminers and company explanatory meetings, getting to know more and more about business worlds!!! It is very excitingggg! and realize how faraway the gap between what we are taught at school and what is happening in this real world.........So instead of being a teacher, I decided to do job hunting in order to fill the gap between education and society. For the first periods of my career, I work at some company and learn what is needed in business. After that, I wanna do some business, and link education and business, giving chances to everyone. Maybe difficult, but as Steve Jobs said "follow your heart and intuition", there must be some possibilities!!!

2013年9月18日水曜日

将来について

企業によって雰囲気とか、目的意識が全然違うことに驚く日々この頃です。数年間働いてからの教員人生の方がいいと個人的に考えつつ、しかし、社会で働いたからと言って、それを子供とリンクできるのかということに少しギャップを感じます。その道のプロになるためには、一つのことに必死にならないと駄目であることは過去の経験から気づいている、かつ日本という社会が転職を好まない社会。しかし、だからと言って、既存のルートを歩んでいたら、新しいことを起こすのは難しい。

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチでconnecting the dotsっていうのが出てきます。彼は大学の授業が無味乾燥に思えて、哲学やカリグラフィーなど、色んなことに手を出したわけですが、結果的にスピーチの中でああした経験がなければ、アップルの成功はなかったという風に言っています。そして、"Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later."って言っています。要は今はわからなくても、10年後とかから振り返れば、何かスッキリするさってことです。

今の自分もまさにそんな感じなのでしょうか。ある意味そうなろうとしていたところがあります。1回の初めは踊りに少し惚れたものの、後期からマジックに惚れ、ユングやフロイトの精神分析・水谷修さんに興味を持ったり、2回生になったら、スクエアダンスを通して、人を楽しませるこのに力を入れたり、後期にはまた関心が変わって、バイトを通して、プレゼンや授業づくりやリーダーシップに興味を持ち、そうした本を読みまくったり(リーダーとしてはまだまだですが)、3回生になったら社会で活躍されている方のお話を聞いて、ビジネス関係の本を買ったり、バイト先での組織運営の在り方とか、そうしたものを学んできました。今はとにかく資格試験の勉強やビジネスマナーの本、ボディ・ビルディング、ヨガ、ランニング等の体力づくり、美術、サークルの卒アルの整理など色々と。

ただ、人から見ると広々とやりすぎていて、何をしているのかわからないと思われることもよくあります。組織に属すという観点からするとあまり使えないと思われるでしょうし、自身それなら、そう見てくださいと思うしかないわけです。そうなるに至る原因は自分で作ったのだから仕方ないのです。

話は初めに戻りますが、どうでしょうか?社会に出るべきでしょうか?いろんな方に相談して、結局最後は自分でなんとかしろという話だと思うので。何か新しい風を吹かせたいという漠然とした思いをもう少し具体的に洗い出さないといけないかもしれません。僕がしたいのは、ただ、人に尽くせる場所にいれたらそれでいい。なぜなら、それでしか、自分の存在意味を見いだせないからです。名誉や地位で人が幸せにならないわけで。誰かに与えられないなら、自分が死んだときに、人生を振り返って何が残るか僕自身には理解できないです。ここでいう与えるというのは精神的な意味においてです。アインシュタインやヘレンケラーといった人物も「人に与える人生こそが素晴らしい」という風に述べています。

しかし、その方法は新しいやり方がいい。今までに誰もしたことのない新しい価値を生み出したいです。せっかく、こんな大学に入れたわけですから、何か新しい価値や考え、行動をしないと。異分子になるということは、逆に攻撃をうけまくるということですが。でも、必ずしも、既存のパラダイムが正しいということはなく、時代や環境によって、その解釈はガラリと変わってしまいます。例えば、デカルトが二元論を打ち出した時から、その流れが近代科学へと繋がり、既存の正しいと信じられたやり方がひっくり返りました。日本なら、例えば、明治時代において伝統的な漢方が、西洋医療のせいで否定されたりと。

この辺で終わります

2013年9月16日月曜日

ドクター・マクスウェル・モルツとサイコ・サイバネティクス



0.はじめに
今日はドクター・マクスウェル・モルツという人物を紹介したいと思います。テーマはサイコサイバネティクスです。私は今までにも自分のとらえ方を出来るだけポジティブに捉えることが大切であるということを今までに何回か書かせていただきました。そのことをさらに深めてみたいと思います。

彼についてご存じでない方も多いと思いますので、簡単に略歴を紹介します。モルツ博士は1899年にニューヨークに生まれ、1975年に76歳で没しています。1921年にコロンビア大学で学士号を、1923年に同大学内科・外科カレッジで医学の博士号を取得。ドイツで形成外科の臨床研修を経た後、再びニューヨークの病院で形成外科に携わります。その後、数多くの患者とのカウンセリングを通して発見した知見を、サイコサイバネティクスという独自の成功法則として構築しました。

サイコサイバネティクスという言葉が出てきました。この理論こそが、多くの人に注目された要因です。具体的には、自分のセルフ・イメージが自分を規定してしまうということです。すなわち、自分が思い込んでいるような人間になってしまうということです。では、どうして、このようになってしまうのでしょうか?このことについて、彼のエピソードについて、書こうと思います。

1.サイコサイバネティクス(phyco-cybernetics)という理論が生まれたきっかけ
これは、モルツ氏が形成外科の時に起きたお話です。アンナという患者がモルツ氏のもとにやってきました。モルツ氏は名医で、沢山の患者の外傷を直してきたということもあり、今回もすぐに何とかなるであろうと考えて治療に臨みます。

アンナは事故によって、顔に大きな外傷を追ってやってきました。モルツ氏は、いつものように治療して、結果的に顔の傷は綺麗に治りました。しかし、鏡で自分の顔を見たときのアンナは「違う」と言います。

何が違うのかということが、モルツ氏には理解が出来なかったのですが、のちにその理由が母親から教えてもらえます。アンナの母親はアンナが交通事故の直前まで、ある男性と婚約していたこと、そして、
事故で顔に大きな傷ができてしまったのをきっかけに、男性に逃げられてしまったことを話した。できることならこんな話は誰にもしたくはないが、愛する娘の顔の傷を治してくれた恩人ということもあり、母はつい口を滑らせてしまった。

そのことを聞いて、モルツ氏はアンナに直接かたりかけました。
「アンナ、顔の傷はもうなくなったのだよ。もう綺麗な元通りの顔に戻ったのだよ。」
「でも、彼はもう戻ってきません…」
「アンナ、君は自分が悪いと言っていたけれど、自分を責めているのかい?」
「…」「ええ、そうですね。自分が嫌いです。なんで事故なんて起こしてしまったのだろうと・・・、今でもそのことばかりが頭をよぎります。」
「アンナ、なぜ、自分を責めるんだい。逃げたのは君じゃなくて彼の方じゃないか。なんで他人がやったことで自分を責めなければならないんだい?」

モルツ氏は熱い口調になって問いかけた。彼にとってみると、他人の起こした事件によって、自分を責めたり、後悔すること自体がばかばかしく思えた。

暫く、アンナは黙ってしまいます。そしてこの際の面会は終わりにして帰ろうとしたときに、アンナは「頑張ってみます。先生、今日はありがとうございました。」と伝えた。

その後、モルツ氏は、自分が直したのは外傷であったが、アンナに必要だったのは心の傷ではないかと。そして、医師として、心の傷を治すことも必要ではないかと考えるようになりました。

その後、病院で忙しく働いているときに、アンナがやってきます。半年前に会ったのが最後で、満面の笑みを浮かべていたこともあり、誰かが分からなかったそうです。

アンナはあの日以来少しずつ自分を変えていきました。元に戻らないで自分を責めるのは辞め、ポジティブに物事を捉えるようになりました。

この経験をもとにモルツ氏は一冊の本『サイコサイバネティクス』という本を出版します。

2.モルツ氏の発見したサイコサイバネティクス
サイコサイバネティクスという理論は主に二つのことが基盤としてあります。

2-a.セルフイメージこそが自分を規定する
2-b人間の脳には自動的に成功を追い求めるメカニズム(A.S.M)が組み込まれている

このことについて簡単に説明したいと思います。

2-aセルフイメージにより規定される
私たちは、自分に対して何らかのイメージを持っていると思います。


3.私自身の問題意識

4.これからの時代において求められるもの








facebookの更新を辞めたわけ

Facebookに更新を辞めたわけを書こうと思います。けっこう使っている人は御免なさい。そういう方は、読んでいて心苦しいところもあるかもしれないので、そういう人はお前ひねくれているわみたいに思って下さい。

facebookといえば、皆さん、どういうことをあげますか?

旅行に行った写真、自分の食べたご飯、自分の可愛いorかっこいい写真
友達とふざけている写真、日々思っていること、自分が体験したこと、
勉強になったサイトのURL

などなど、あげると切がないと思います。
一つ聞きます。皆さんはどうしてそうしたものをあげるのですか?

・親や友達に自分の近状を伝えるため
・enjoyしていることを示すため
・自分の考えをみんなに知らしめるため
・周囲に自慢するため
・友達が多いことを誇示するため
・「いいね」によって、今の自分を肯定するため
・いい考えを広めるため
・知り合いとのつながり維持

他にも色々とあると思うのですがだいたいこんなかんじだと思います。僕の場合は「近状を伝えること」「繋がり維持」というのが大きいと思うのですが、最近は時間の無駄としか思わなくなりました。

確かに近状を伝えることって大切だとは思うのですが、それならば、全員に公開されるfacebook(もちろん非表示にする機能もあるが)にあげるよりいい方法が他にあると思うのです。facebookより電話で話しり、会って話す、あるいは手紙を書く方がいいと思うのです。その方が思いが伝わります。また、会った時に話題が尽きないと思うのです。というのもfacebookにあげてしまうと、もうその人が何をしたのかが一目でわかってしまうために、会った時に会話でわかることが少なくなります。

さて、だらだらしたので、簡潔に僕がfacebookに嫌気がさしたのは以下です。

(A)時間の無駄
(B)読み手からしたら不愉快
(C)自己愛

(A)
僕自身余り今まで認識していなかったのですが、なんやかんだで、この時間意外と長いですよ。


(B)
読み手の立場になってみて考えていただきたいです。例えば、誰かが自分の食べた料理をアップしたと思います。皆さんからするとどのように思いますか?僕だったら「お前の腹の中に入った料理とか興味ないわ。」って思うんじゃないかと思うのですがいかがでしょう。

また、ある人が「私、広島行きました!○○を見に行って、友達と遊んでめっちゃ楽しかった!」「海外に遊んできます」…って感じで写真まで貼っているとします。皆さんはどう思いますか?この子enjoyしているわ~。「いいな」⇒「いいね」ボタン。。。。このプロセスってある意味羨望や嫉妬の的になるのでは?こいつはいいなって。それが、こいつばっかりいい思いしやがって。。。。となるのではないかと思うのです。


(C)
最近思うことの一つとして、自分がどんだけ可愛いのかという話です。心理学的には自己愛とも言います。アップするのは良いですが、自分の写真を色々とアップして、他人から「いいね」といってもらうのは何か違うのではないでしょうか?そんなに自分のことを肯定したいのかというのが、相手に伝わるような気がするのです。ただ、これはひたすら、私ってすごいでしょ、みたいな。

勿論、人によって捉え方は変わるので一概にこうだということは出来ません。勿論いい面もあることは確かです。しかし、私の場合はここに挙げたうち後半の二つに嫌気がさしたわけです。何かいいとらえかたはないでしょうかね?










What is the leadership?

 
    Today I would like to talk about leadership.These days or From the time immemorial, it is said that leadership is important. Because they will change our society.My faculty integrated human studies, is also saying our purpose or policy of education is to make students have the leadership.
By the way,What is leadership?
     Who do you come up with who have the skills of leadership?Maybe there are some people you will soon come up with. There are many people who have the leadership from the past. I think the person of leadership is those who can form an agreement. You may wonder what this means.
I’d like to explain about it. 
These people are some examples. Like Kim jyonnwill who moves the politics of North Korea, Hittora-, who controlled  German people, and he is very good at speaking, Tojyo Hideki who conducted war during the World War 2. Recently, some people say Hashimoto Tooru have the skills of leadership like Hittora-He is often associated with Hitra-. As these people shows leadership is often associated with those who are like dictators. I think this is true, but recently I think what is needed for leader is changing now.
    My former image of leadership is like this figure1. There is a person who have strong force and can move many people. Furthermore they can take some great action. Many people think leader is like that. He is admired and often called charisma.
figure1

My image of leadership is like figure2. There is one person. He communicate with other people and tell their ideas to another person and vice versa. Through series of communications, he will reach an agreement. After that he will gather ideas from various people and take some actions. This is my image of leader.
figure2
These days thanks to the Internet, many people can express their ideas to other people.
Each person has different ideas and values. In order to take some action in this society, first of all we have to unite different ideas. For example ,at first, they hold some meetings and exchange ideas and make an agreement. Then they will tell the ideas to other people and reach an agreement

In conclusion, I suppose the skill of leadership is to form an agreement. This ability is needed in many fields such as insurance company, consultant company, sports education, and so on. In short, the companies, whose tasks include communication with other people. There are many service industry, so it is needed. For the outlook for future, in Japan there are few classes whose styles are discussion. So it is necessary to make classes for communication and improve the skills of leadership in Japanese education. Thank you for reading.