2013年7月27日土曜日

言葉遣いについて

今日は、物事の捉え方ということについて皆さんと考えていきたいと思います。
哲学的には「世界は信念のネットワークである」とも言われるように、
私たちは世界に対して様々な認識を持っています。
でもそれは事後的に各々が条件づけたものであるから、
世界にはその人の数だけの考え方や捉え方があります。
哲学的には全体主義すなわちholismっていう風に言います。

っていうことは、世の中には絶対的な物事のとらえ方など存在しないわけであって、
物事の善悪っていうのはずばり、その時の多数決の原理において、
いいか悪いかが変わってくると言えます。

ということは私たちがどのように世界を認知するかによって、
物事の捉え方は変わってくるのではないかと思うのです。
つまり、ネガティブに思えることをいかにしてポジティブに捉えることが出来るかということが
大切であると言い換えてもいいでしょう。

だから、何か不安なことが起きたり嫌なことがあったら、
無理やり思い込みによってポジティブにとらえていったらいくことが大切であるということです。

具体的には以下のような表現を皆さんなら、どうしたらいいと思いますか?

仲が悪い
自己中心的
だらしない
似合わない
薄汚れた


⇒⇒
意見が異なる
強い意思を持っている
おおらか、物事にとらわれない
雰囲気が逢わない
歴史的風格をかんじさせる


こんなかんじで、物事ってプラスにとらえるポジティブ思考って
ものすごく大切なのではないかということであります。


第一、人間なんだから意見が完全に一致するなんてありえないわけで、
だから、間違ったと思っても、本当にそうだったのか?
捉え方を変えたらって考えることが大切なんだと思います。

とはいっても過度にやりすぎると、傲慢とか思われかねないので、
どうしたらよかったかというのを考えることは必要でしょうね。

どこかの母親が「うちの子全然勉強しないのよ。友達と外であそんでばっか」って愚痴っていたら、
「外でのびのび遊んでいて、友達いっぱいでいいじゃん!きっと、その社交的な子供さんはコミュニケーション能力が高くなるだろうね」みたいに返してあげたらいいんじゃないかと思うこのごろです。
正直、勉強が出来る=成功なんてありえない話ですので。

要するに僕が言いたいことは捉われるなってこと。相手の言葉そのものに絶対性なんてないんだから、あまりに落ち込んでしまい、布団にこもるんじゃなくて、捉え方を変えて、自分の中で再解釈しようってことです。

今日はこんなところで終わります!


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