いい加減であることと真面目であることについて、共有したいなと思います。
(敬語を使いたかったですが、少々入り乱れたことご容赦ください)
みなさんは、真面目ですか?いい加減ですか?
私は最近迷っていました。世の中いい加減であることがいいっていうような価値観をマスコミやドラマなどを通して、私たちは洗脳されてきたのではないかと私は思います。
私自身は高校までは、真面目にやってきました。
学校の先生が言われたことはきちんと守って、先生が求める理想な生徒というか、そういうものを演じてきました。
だから、別に面白くもなかったと思います。
別にクラスで人気だったわけでもなく、中心的になにかしたことも特になかったように思います。
でも、それだと何も目立たないというか、存在感がないというか、そんな感じで見られていたのではないかと思います。
当時はっていっても数年前の話ですが「のぶたをプロデゥース」とか「花盛りの君たちへ」、「ごくせん」など
「いかにも青春しています」みたいな学校をテーマにしたTVドラマが数多くやっていました。
そこでは、極端にいうと、いかにも教師に服従するのではなく、「自分たちの人生をエンジョイしようぜ」というか、
「いかにも青春してます」みたいな生き方がクローズアップされていて、
僕たちの世代もだいたいそのような中で、俺にしかない青春みたいなものを追い求めようとしていた人が
多いように思います。
そして、その中では真面目であることは、低く評価された。
真面目にコツコツとやる人っていうのは、面白みに欠けるとか、言われてきた。
私は後者であった。そこで、正しいことって、ふざけることなのかってどこかで思ったりして、
大学に入って、色々と真面目な自分とはおさらばしてやろうって思って、
サークルとかでいろいろと抜けたことをやってきました。
授業も休んでみたりとか、遅刻したりとか。
まぁ、それをして先生に怒られたことも何回かありましたが。
とりあえず、色々としてみた。
しかし、そうした生き方ってやっぱり反発を生みやすいってどこかで薄々と気づいていました。
私ふざけたりして、高校までで怒られたことは一切なく、
面白くなければ、普通で、しいて言えば勉強が出来るくらいだったように思います。
だから、自分のアイデンティティが何かわからなくなる。
でも、そうやって個性的というか、浮こうとすれば浮こうとした分だけ、
「それは違うくない」「おかしいんじゃない」みたいに言われる。
批判も多かったように思います。
勿論、人を動かす原動力にはなる。
物静かな人と議論をするときは、いかにも今自分が進めているなみたいな優越感というか、
そうしたものを感じる。
でも、どこかで反発というか、自分勝手というか、そうした一面があることは否めない。
こういう色々と前に出ようとする人間って本当に鬱陶しいと感じることが多々ある。
私自身そうだ。誰かが自分が前に出す人って、自分が動かしていると錯覚している。
確かに動かしているのはそうかもしれない。
しかし、実は意外とそういう自分だけではないということがわかる。
例え、あまりしゃべらない人であっても、作業するときは真剣にやってくれるし、
時にそうやって前にでしゃばる人よりも頑張っていることだって満更ある。
要するにウダウダと述べてきたのですが、
言いたいことは真面目な生き方を見直す時が来たのではないかと思います。
今まで、そうした滅茶苦茶な生き方がいいというような価値観を面倒くさがりやで怠惰な人間が
これは良いものだと、自分たちの価値観を肯定するために、メディアやマスコミ、ドラマなどを通じて、
無理やり広げ、「真面目な生き方=ダサい・うっとうしい」として、
そうした生き方を排除してきたように思います。
でも、これからの時代、おそらく価値観が変わってくるのではないかと思います。
昔は真面目な人間が比較的多かったように思います。
例えば、第2次世界大戦の時には命を懸けて国の為に尽くすような人が多かった。
そして、その後、高度経済成長を経て、みんな真剣に働いて、
いわゆる落ちこぼれというか、社会からのけ者にされていた怠惰な人が
自分たちの生き方は素晴らしいというか、そうした価値観を植え付け、
その一部の価値観に魅力を感じたのではないかと思えます。
そして、学校ではいい加減というか、不真面目というか、そうした人が
クラスの人気者であったりしたわけですが、
今はむしろ、真面目な生き方が見直されている時代であると思います。
少し論理的に飛躍があるかもしれないですが、
全体的に今優位で前者の価値観が大きなウエートを占めている中、
浮くのはどちらか。それは少数派の真面目グループ。
近々、パラダイムシフトが起きるのではないかと思います。
真面目な人が認められる社会に。
長々失礼しました。
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