2013年9月16日月曜日

偉大な教師の条件とは


今日は偉大な教師の条件ということについて考えてみたいと思います。私自身偉大な教師と思える人は少なかったように思うのですが、その中で共通して言えることは、知識を教えるだけではないということです。よく学校の先生というものは、教科書に書いてあることから授業を組み立てて、日々の授業を組み立てていますが、それでは一流のプロとは言えないでしょう。

本当に生徒の記憶に残るような教師というのは、命がけのようなところがあったと思います。
ウィリアム・アーサー・ウォード(1921― 1994)というアメリカの詩人であり、牧師であり、教師だった人物はこのような言葉を残しています。

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.
—William Arthur Ward

「普通の教師は、言わなければならないことを喋る。良い教師は、生徒に分かるように解説する。優れた教師は、自らやってみせる。そして、本当に偉大な教師というのは、生徒の心に火をつける」ということですが、私の考えと一致するような気がします。

では、どうしたらinspireできるのでしょうか?この答えは人により区々(まちまち)なところがあると思います。武田鉄也主演のテレビドラマ「金八先生」に出てくるような教師像は確かに理想形でしょう。

あのドラマは1979年から2011年までの32年間にかけて、TBSにおいて断続的に制作・放送されたということもあり、視聴率もかなり高かったからこそ続いたのだと思います。また、国民から理想の教師の在り方と捉えられていた一面もあるのではないでしょうか。他にも学園をテーマにした様々なドラマ、例えば、天海祐希主演の「女王の教室」や「野ブタをプロデュース」、「生徒諸君」など数えるときりがありません。

しかし、現場の先生や大学の教授など多くの人はあんなことは現実化しないと言います。確かにテレビドラマはたいてい10話程度で終わってしまうという点でシリーズが始まってから、終わるまでにかかる時間はそんなに長くはありません。一方で現場は中学校や高校が3年、中高一貫校であれば6年というかなり長い時間がかかってしまいます。そして、虐めや不登校といった何か問題が起きた時、ドラマであれば、1話か2話程度のたったの2時間の中で解決されてしまうのかもしれませんが、現実はそうではありません。そうした問題を解決するには、短くても1年とか長くて3年とか、それ以上になってしまうわけです。

おそらく学校の先生からしたら、そんなことは綺麗ごとに過ぎないとしか考えていないと思います。私たちの多くは、テレビの影響によって、「こんな先生がいまは現場にいない」とか考えてしまいがちですが、現実問題として難しい。確かにテレビで描かれているような、一人の革新的な先生といいますか、今までの既存のやり方から何かを変えられる教師像というのは本当にいたらいいなとは思うわけですが、現実問題として出来る先生はほとんどいないです。現場の先生は時間的にも個人に対して割く時間というのはほとんどないはずです。

ということは何か別の現実的にも実践できる理想の教師像というものを考えて行く必要があるわけです。だからと言って、それは既存のやり方で解決できるようなものでもない。時代が変われば、求められる教師像も変わって当然だからです。

初めに「inspire」させることこそが、大切であるというお話をしました。そこで、私が必要だと考える教師像として、以下の二点を挙げたいと思います。(勿論、これは個人で考えている意見に過ぎないので絶対的なものではありません。)

一つ目は、複眼的思考を身に付けるということ
二つ目は、信頼関係を築くことができるということ
三つ目は、潜在的可能性を引き出すということ

それぞれについて、次回から見ていきたいと思います













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