2013年9月18日水曜日

将来について

企業によって雰囲気とか、目的意識が全然違うことに驚く日々この頃です。数年間働いてからの教員人生の方がいいと個人的に考えつつ、しかし、社会で働いたからと言って、それを子供とリンクできるのかということに少しギャップを感じます。その道のプロになるためには、一つのことに必死にならないと駄目であることは過去の経験から気づいている、かつ日本という社会が転職を好まない社会。しかし、だからと言って、既存のルートを歩んでいたら、新しいことを起こすのは難しい。

スティーブ・ジョブズの有名なスピーチでconnecting the dotsっていうのが出てきます。彼は大学の授業が無味乾燥に思えて、哲学やカリグラフィーなど、色んなことに手を出したわけですが、結果的にスピーチの中でああした経験がなければ、アップルの成功はなかったという風に言っています。そして、"Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backwards ten years later."って言っています。要は今はわからなくても、10年後とかから振り返れば、何かスッキリするさってことです。

今の自分もまさにそんな感じなのでしょうか。ある意味そうなろうとしていたところがあります。1回の初めは踊りに少し惚れたものの、後期からマジックに惚れ、ユングやフロイトの精神分析・水谷修さんに興味を持ったり、2回生になったら、スクエアダンスを通して、人を楽しませるこのに力を入れたり、後期にはまた関心が変わって、バイトを通して、プレゼンや授業づくりやリーダーシップに興味を持ち、そうした本を読みまくったり(リーダーとしてはまだまだですが)、3回生になったら社会で活躍されている方のお話を聞いて、ビジネス関係の本を買ったり、バイト先での組織運営の在り方とか、そうしたものを学んできました。今はとにかく資格試験の勉強やビジネスマナーの本、ボディ・ビルディング、ヨガ、ランニング等の体力づくり、美術、サークルの卒アルの整理など色々と。

ただ、人から見ると広々とやりすぎていて、何をしているのかわからないと思われることもよくあります。組織に属すという観点からするとあまり使えないと思われるでしょうし、自身それなら、そう見てくださいと思うしかないわけです。そうなるに至る原因は自分で作ったのだから仕方ないのです。

話は初めに戻りますが、どうでしょうか?社会に出るべきでしょうか?いろんな方に相談して、結局最後は自分でなんとかしろという話だと思うので。何か新しい風を吹かせたいという漠然とした思いをもう少し具体的に洗い出さないといけないかもしれません。僕がしたいのは、ただ、人に尽くせる場所にいれたらそれでいい。なぜなら、それでしか、自分の存在意味を見いだせないからです。名誉や地位で人が幸せにならないわけで。誰かに与えられないなら、自分が死んだときに、人生を振り返って何が残るか僕自身には理解できないです。ここでいう与えるというのは精神的な意味においてです。アインシュタインやヘレンケラーといった人物も「人に与える人生こそが素晴らしい」という風に述べています。

しかし、その方法は新しいやり方がいい。今までに誰もしたことのない新しい価値を生み出したいです。せっかく、こんな大学に入れたわけですから、何か新しい価値や考え、行動をしないと。異分子になるということは、逆に攻撃をうけまくるということですが。でも、必ずしも、既存のパラダイムが正しいということはなく、時代や環境によって、その解釈はガラリと変わってしまいます。例えば、デカルトが二元論を打ち出した時から、その流れが近代科学へと繋がり、既存の正しいと信じられたやり方がひっくり返りました。日本なら、例えば、明治時代において伝統的な漢方が、西洋医療のせいで否定されたりと。

この辺で終わります

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