ある方のブログを読んでFacebookにての投稿を辞めてしまいました。
最近就活にて、かなりのビジネス(主にコンサル関係の本)に関する本を読んでいるのですが、結局、経営において大切なことって人によって全然違うわけで、いくら何かの行動の為に分析を行ったところで、何かを始めるときは、その通りに進むことなんてありえない。ある程度の分析から、その範囲内に落ち着くことはあっても現実何が起きるかわからない。最近売れている不格好経営という本にて、コンサルって実際にビジネスするうえであくまでアドバイス、実際に何かをやるとなると別ってことを知りました。ということは、人からアドバイスをもらうというのももちろん大切ですが、結局は自分。このことは今までの自分を振り返ってみてもそうだった気がする。実際、人に頼っている時に成功したことというのはなかった気がする。自分が選んだ道でこれでいけばなんとかなるみたいな、そんな自分の中の漠然とした直観に頼ってひたすらやった時に成功する気がする。要は人に頼っているようじゃまだまだで、人の成功例のアドバイスをそのまま鵜呑みにしてはいけない。
とまぁ、こういうことを色々と勉強していると、いかに人を語る人間というのが見苦しいかということがしみじみと感じられるわけです。評論するのは簡単です。でも、それが、まるで後付というか、結果が起きた後に、「あいつはこうだったからこうなったのだ」とか「あそこがいけなかったのですよね」とか。自分がその立場にいたら本当に問題は起きなかったのか?と考えてほしかったり。自分も時に人について語ることがあるわけですが、どこかで、自分に対してイライラするわけです。僕の場合は、うちのような大学に入ったことに対して、高校の時の学校の先生が語っているそうです。「こいつはなぁ、こんなに一生懸命やったんや。やから受かったんやで。努力したらきっと報われる」みたいな。でも、僕としてはすごく腹が立つわけです。努力しても必ずしも成功するとは限らない。勿論、その成功をどのように定義するかはおいておき、果たして社会に出て、いくら必死で残業をしているからと言って、必ずしも、昇給できるとも限らないし。どこかで、冷めているのかもしれないですが。しかし、そんなこと言うなら、自分でやってみろよって思うわけです。
なんやかんや今までを振り返ると本当に失敗が多い。必死でやれば、勿論周囲の人は納得してくれる。しかし、結果を出せなければ意味がなく、出せないなら、いくら主体的に出たところでアウトです。今までの2年半くらいを振り返ってみると、色んな意味で失敗が多かった。勿論、成功して人から良かったねと評価されることはあったが、どちらかといえば、失敗だらけだ。アルバイト先でのチームリーダーとしての会議の運営やリーダーシップ、マネジメント、、、あげれば切がない。その失敗が起きないためにどうしたらいいかということも徹底的に本を読み実践できるところは直してきたが、勿論まだまだ不十分なのは自覚している。
勿論、失敗は成功の元とかいうが、でも、失敗は失敗。負けは負け。亡くなった祖父から「勝つんや」って言われたことだけは今も鮮明に覚えている。でも、確かに仰せのとおり。結局結果を出さなければ意味がない。失敗を美化して後から、あの失敗があるから今のキミがいるんだって結局は結果論。綺麗事にすぎない。自分で実現したい夢や想いを語るのは、僕は良いと思う。なぜなら、そのことによって、思いを共有できるわけで、少しでも賛成してくれる人が出れば何かを生む。一つの結果を生む。しかし、何もそれに携わらない人がいうのは違う。横から、「お前のしていることは何々に過ぎない」って、批評するのはいかがなものかと思う。
後、先入観を持たないこと。人間先入観を持って人を見る。「お前にはこれは出来ない」とか「見た目からして、お前にこの仕事は出来ん」とかいうような人間。ほとんどの人間はこの先入観にとらわれすぎていると思う。しかし、実際どうなのか。僕の場合は愚かさの骨頂であると考える。なぜなら、その人間の通ってきたことを何一つ考えない、想像力の欠けた行為であると考えるからだ。高々、人間のできることなど限られている。例えば、就活において、ある人事の方が、所詮大学生のしてきたことなど、似通っているし、大した違いはないという。事実そうだろう。考えるプロセスなどは多少は異なるにせよ、発想や考え方それ自体に大きな考えが出せるかというとはなはだ疑問である。
要は、先入観を持つな。批評家になるな。自分の直観を信じよ。失敗は失敗。成功は成功。
核となるメッセージがすごく漠然としていますが、心のそこで感じている思いをそのまま綴ってみました。
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